コロナ差別??
こんばんは。初投稿です。そして恐らく最後の投稿になります。
このような長文を書く経験はこれまであまりなかったので、拙い、読みにくい文章になっているかも知れません。ご了承ください。
今日、ホームルームの時間に「コロナ差別」というよく意味のわからない話題について少し議論のようなものを行いました。
正直、耐えられたものではありませんでした。
授業が始まった直後、話題を聞いた時は「知ってる。医療従事者が避けられたりしてるんやろ?」と、軽い気持ちでいました。
日本赤十字社やその他諸々の文献が配布され、少し目を通すと絶句。
「看護師です。歩いていると石を投げられました。」
「配達に向かうと、『コロナを運ぶな』と除菌スプレーをかけられました。」
え…??
目を疑いました。茫然自失としました。仰天しました。
意味がわからない。
どうしてそんな言葉を、ましてこの時期に生命を削ってライフラインを支えてくださっている、当たり前に感謝する存在だと思っていた方々にかけられるのか。どんな気持ちで言っているのか。
私自身、コロナ差別という言葉は知っていましたが、「そんなもんやろ」と思い正直そこまで調べていませんでした。
ひどく反省しました。
普段から涙もろいほうなので、涙が出そうになるのを隠しながら必死で授業を受けていました。
クラスメイトの一人がこんなことを言いました
「コロナウイルスのことがよくわかっていないからこそ起こる過度な不安感情、それは本能なので仕方ないが、が差別の原因になっている。ウイルスに対する正しい知識を得ることが差別の対策になる。」
違う。
確かに、それで一部の人間の差別は終わるかも知れない。
ただしそれは本質的な解決ではなく、差別意識は人々の心のなかに生き続けてしまいます。
それに、戦場ではあるまいし、人にいきなり石を投げつける人間が存在すること自体が問題なのではないのでしょうか?
それをコロナウイルス感染症のせいにしてしまうのはいささか言い訳がすぎるのではないでしょうか?
不安だから差別する?
本能だから仕方ない??
ふざけたことを言うな。
それは、差別をしている人が自分の行動を正当化するための「言い訳」です。
デカルトが言ったように、人間とその他多くの動物の唯一の違いは「理性」であると思っています。
理性を持ってして本能を制御しないで何が人間なのか。少々口が悪いようですが、それはそこらにいる動物と何ら変わりありません。
「STOP!コロナ差別 ―差別をなくし正しい理解を― キャンペーン」
馬鹿らしい。
いえ、この活動自体を批判するつもりは毛頭ありません。
このような活動を行わないと差別をなくすことができないことが「馬鹿らしく」て「恥ずかしい」ことなのです。そして今、多くの大人はそのことに気づいていません。
この活動を通して、多くの著名人の方々がコメントを出しているようです。
なぜ著名人が発信しないと差別をなくせないのでしょうか?
「子供が感染するのが怖いので、あなたの息子を保育園につれてこないでください。」
これを「自衛だ」という大人がいます。
大きな間違いです。
綺麗事を言うなと言われてしまうかも知れませんが、自分に危害を加えない他人を一人でも傷つける防衛は正当防衛ではありません。不当な攻撃です。
こんなことを平気で言えてしまう大人がいる社会、国に落胆しました。
確かに全員ではないかも知れない。でも、そのようなことを言える大人が存在する以上、目をそらすことは許されない問題であることは確かです。
何度も言いますが、看護師の方々、宅配便の方々、公務員の方々、その他にも多くの方々が身を粉にして働いてくれています。私自身、この期間は非常にお世話になりました。
その方々になぜ感謝しないのか尊敬しないのか、応援しないのか、できないのか。全く理解が及ばない。
「医療現場で働いている方々へのリスペクトがないと医療従事者が減る」
確かにそうかも知れません。しかしそれは差別をなくす理由になりうるのでしょうか?
それは、差別によって発生する多くの二次災害の一つでしかありません。
いじめは良くない。子どもたちは小学校で、早ければ就学前に両親からこれを学びます。
それを忘れているのか、はたまた学んでいなかったのか、差別という名のいじめを未だ続けている大人が非常に多くいます。
私の姉は現在医療系の大学で医療の現場で働く学習をしています。
しかし、彼女はコロナ差別の件で夢を捨てるとは言いませんでした。
それは彼女が「病院で人を救いたい」と大きな志を持って医療現場を目指しているからです。
私は自分の姉ながら彼女をリスペクトしています。かっこいいと思っています。自慢の姉です。
医療現場か否かに関わらず、その姉と同じ様に高い志を持って職についた方々を差別し、傷つけている人がいると知り、余計に腹が立ちました。
自分はその恩恵を受けておきながらどうしてそのように敬意にかけた発言が出来るのでしょうか?
何も推敲せずに突貫工事で書いた文章です。怒りを持ち、悲しみ、立腹しながら書いているので、ぐちゃぐちゃな文章です。申し訳ありません。
しかし私は世の中の方々に私が「大人」―この文章の中で書いた「大人」とは単に法律上の「成人」を指したものではなく、大人的な判断力を持つ人を意図しています。―に対して抱いた疑問をいち早く届けたかった。
本当にこの状態が正しいのか、あるいは否か。
偉そうな文章を書いていますが、冒頭で述べたように私はもう高校生、もうすぐ大学生、であり、まだ高校生、まだ選挙権すら持たない、です。
私より遥かに多くの経験をなさってきた方々もこの文章を読んで頂いているかも知れません。
もう一度考えてみてほしい。
どういう理由があれ差別が正しくないことは自明です。それをどう防ぐのか、私達に何が出来るのか、そしてそれを机上の空論で終わらせてはいないか。
人間誰しも間違いを犯します。しかしその一方で人間は間違いを認め、反省し、次に活かすことのできる(はずの)生物です。
あなたが、周りの方々にかけた言葉は本当に正しかったのかを思慮し、間違いを正すのにまだ遅くはないかもしれません。
私達、将来の日本を担う若者がこの国に幻滅する前に気づいてほしい。
子どもたちはあなた方大人を見ています。そして私もそろそろ見られる対象になりつつあります。
人間の動物的本能からくる「不安」は、身の危険から自分を出来る限り遠ざける手段であり、最も重要な感情の一つです。
それが他人を傷つけてしまったら元も子もない。かの名著ではありませんが「人間失格」です。
私がこの記事を書いたモチベーションは「怒り」以外の何物でもありません。
私は、学校ではクラスの友人と騒いで、授業中はちょっと喋ったりして、先生に少し目をつけられているような真面目とは言えない生徒です。
正直、私はどうしてここまで腹が立っているのかわかりません。
電車、物流、行政などなど、ライフラインを確保してくださっている皆様、最前線の病院現場で活動していただいている皆様、正しい情報を得る手助けをしていただいている報道関係の皆様、書き連ねればきりがないほど多くの皆様、本当にありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いいたします。
社会人でもなければインフルエンサーでもない私に出来ることはほとんどないかもしれません。
でも、私は差別はしません。なぜならあなた方に大いに感謝をして、尊敬をして、応援をしているから。
これだけ書いても私には差別をする方々の気持ちが理解できませんでした。
ありきたりな言葉かもしれないけれど、あなた方の家族、友人、彼氏、彼女、恩人が同じ状況に合っても同じ言葉をかけられるでしょうか?
私はこの記事に関するいかなる批判も受けるつもりです。
コメントをしてください。
差別感情のある方々と、もちろんそうでないかたともお話をしたいです。
書きたいことはまだまだあります。
私は受験生で、二週間後には定期考査が控えているので時間が確保できれば追記するかも知れません。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
そしてこう思っていただければ幸いです。
「他人事じゃない」